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2009年01月30日

梢風庵のつくばい

昨日、来客があり、久しぶりに弊社の茶室でもてなしをさせていただきました。
露地に入り、中門から内露地に入ると、茶室に入る前に口や手を清めるために「つくばい」があります。
鞍馬石の前石があり、手水鉢は、御影の自然形を使っています。
左右に手燭石、湯桶石を配し左奥には、古田織部が愛好したと言われる織部形灯籠を配しています。

露地にはいろんな決め事がありますが、すべて理に適っていて、使い勝手がいいようにと考案されたものばかりで、先人の知恵の深さにはただただ恐れ入るばかりです。
梢風庵には先人の技術や伝統が現在に残っています。
探訪梢風庵

  


Posted by べっぷちゃん at 14:03Comments(2)

2009年01月25日

明依ちゃんのひな人形

公私混同と言われながら個人的な報告です。
三月三日は明依ちゃんの「桃の節句」のお祝いです。
「ひな祭り」の「ひな人形」を明依ちゃんのお母さんの実家から、雪の中をおじいちゃんとおばあちゃんお二人で届けていただきました。
おひなさまは、子供の身代わりとなり、事故や病気から守ってくれるように、そして子供の成長と幸せを願う心がおひなさまにこめられています。
上巳節句

  


Posted by べっぷちゃん at 19:39Comments(0)

2009年01月24日

梢風庵冬の露地

朝、起きてみると昨夜からの冷え込みで外は、一面冬景色。 会社の露地に出てみるとご覧のとおりでした。
露地は茶室に伴う庭のことを言います。 茶室に入るには、露地に入り、歩をすすめながら世俗のほこりを清め捨てると言われています。
梢風庵冬景
  


Posted by べっぷちゃん at 09:01Comments(0)

2009年01月23日

廣田弘毅先生銅像

福岡市美術館前に有る銅像は、福岡県が生んだ総理大臣、廣田弘毅先生です。 玄洋社員の廣田先生は、終戦後の極東軍事裁判においてA級戦犯の罪に問われ、一言の弁明もせず文民でただ一人、死刑を受け入れられたと玄洋社記念館の資料に書いてあります。
廣田先生は、戦争に反対され、平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くした人でした。
周囲の人に累が及ぶことを一番心配されての事だと言われています。
福岡が生んだ偉人、廣田弘毅先生を顕彰するために、玄洋社記念館により昭和57年5月15日に銅像が除幕されました。
弊社は、銅像まわりの造園修景工事でお手伝いさせていただきました。今もその時に植栽した植物の管理を有り難く「四半世紀」続けさせていただいております。
偉人崇敬
  


Posted by べっぷちゃん at 11:39Comments(0)

2009年01月22日

原田種夫文学碑

「人間」 ひとを にくむなかれにくむこころは はりねずみ サボテンのとげのいたさである ゆるしてやれ いたわってやれ ひとのにくたいの一部には どうしても消えぬ臭い所がある それがにんげんが神でない印だ ゆるしてやれ いたわってやれ
平成元年七月書八十八翁
九州文学の発展にその生涯をささげた、原田種夫先生の記念碑が、博多区中洲の西大橋のそばにひっそり建っています。 この詩碑は、先生のその功績を称え、平成九年三月四日に、「原田種夫文学碑実行委員会」によって除幕されました。造園修景工事は弊社で担当いたしました。
福岡探訪
  


Posted by べっぷちゃん at 10:00Comments(0)

2009年01月19日

チャリティーもちつきぜんざい会

18日は20回目の恒例事業となっています、太宰府天満宮崇敬会青年部によるチャリティーもちつきぜんざい会が開催され、弊社も17人のメンバーで参加しました。ぜんざいを参拝者に食べていただき、その募金を毎年、福祉施設に贈呈しています。目標 3000 杯のため、70キロのもち米が準備されました。
弊社の秋山君の愛娘、莉菜ちゃんも手伝ってくれました。
参加感謝

  


Posted by べっぷちゃん at 10:24Comments(3)

2009年01月18日

焼肉大衆親父さん女将さんありがとう

80歳の親父さん、75歳の女将さん、お二人で経営する焼肉とモツ鍋のお店が今年一月を最後に閉店となりました。 お店の屋号のとおりとてもお美味しいのにお値段は「大衆」料金で奉仕されています。
今日は、会社のメンバーと共に最後の晩餐に駆け付け、焼肉からモツ鍋まで堪能しましたが、惜別の思いが胸に迫って言葉になりませんでした。23 年間ありがとうございました。そしてお世話になりました。若造が偉そうな事申しますが、これからは、ご苦労された分お二人でゆっくりとお過ごし下さい。
一月末まで開いていますので是非皆さん、お立ち寄り下さい。福岡市東区土井の焼肉「大衆」です。
大衆感謝

  


Posted by べっぷちゃん at 22:12Comments(1)

2009年01月15日

太宰府天満宮浮殿庭園

一月号の建築ジャーナルの特集にも紹介されました、太宰府天満宮の浮殿庭園です。 この場所は、光明禅寺の北側に位置し、国立博物館に繋がるルートで、訪れた方々のために、西高辻宮司が景観整備のため庭園も改修されました。
設計は伝統社寺建築を軸に活躍されている東京の建築家、種村強先生です。 施工、施工管理は弊社が行いました。
浮殿は、秋の神幸式の御旅所ですが、行宮で、御神興はここでお休みとなり、竹の曲の一座が「御供上げ」の曲を奉する、厳かな所です。 水面に、建物の影が映るところから「浮殿」と名付けられました。
鎌倉時代の境内図には、心字池の辺りに在ったそうですが、戦後になり現在のところに移ったそうです。
四季を通して素晴らしい景観ですが、とくに去年のもみじは最高でした。紅葉時期には是非ご覧になって下さい。
水面映景

  


Posted by べっぷちゃん at 17:15Comments(1)

2009年01月10日

梢風園のシンボルツリー

弊社玄関前に、堂々とその風格を表わしている一本の樹木があります。この樹木は「イヌマキ」ですが、通称、マキと呼んでいます。推定樹齢百年以上もするこのマキは、実は 会長保男の生誕と、新築を祝うめでたい樹木でした。
昭和二年七月に当時長男として誕生した息子保男のために、父彦次が、家の新築と誕生祝いに二本マキを植えました。植えた一本がこの梢風園玄関のマキです。もう一本は、お客様のご要望でお譲りしましたが、現在、この一本だけ残っています。このマキも、 田主丸町から昭和四十五年に福岡市に移り、その後、本社移転の度に移植し、現在は、弊社玄関前で「主木」となっています。
今は亡き、祖父彦次の思いが心に染みます。
栽苗大成

  


Posted by べっぷちゃん at 13:41Comments(4)

2009年01月07日

九年庵

佐賀、吉野ヶ里公園の帰り道、神埼町に在る、九年庵に寄りました。ここは、明治25年に佐賀の実業家、伊丹弥太郎が造った別荘で、明治33年 から9年の歳月をかけて庭園を築いた事が名前の由来だそうです。四季それぞれの美しさがあり、苔が絨毯のように拡がっています。秋の紅葉の時期にだけ9日間、一般公開されます。
今の時期は残念ですが、中には入れませんでした。
独身時代に足を運んで以来、久しぶりに訪れました。作庭者は久留米の誓行時住職、阿(ほとり)和尚が「自然のあるがままの姿で活かし、水の有るところ、水を使う」茶道の奥義を心として、庭木、庭石を一つ一つ吟味し、作庭したと言われています。 この和尚は、当時の九州では茶室や築庭の名人と言われていたようです。今年の紅葉の季節に、みんなと訪れようと思っています。
しとやかに翠緑

  


Posted by べっぷちゃん at 13:16Comments(5)

2009年01月05日

植木苗木、日本三大生産地田主丸町

我が故郷、田主丸町。父なる山、耳納連山。母なる川、筑後川。この土壌を背景に、 田主丸町は数百年前から植木、苗木業が盛んで全国でも有数の植木の町として発展しました。弊社の会長、保男は、みかん苗の接ぎ木が得意で保男が手掛けた苗は、評判が良く買手のファンが多かった事を祖母から幾度となく聞かされた事を思いだします。 先日、田主丸に眠る、ご先祖様の碑や墓掃除を済まし、カミさんの実家にお正月里帰りしました。
故郷風景
  


Posted by べっぷちゃん at 21:52Comments(0)

2009年01月05日

植木苗木、日本三大生産地田主丸町

我が故郷、田主丸町。父なる山、耳納連山。母なる川、筑後川。この土壌を背景に、 田主丸町は数百年前から植木、苗木業が盛んで全国でも有数の植木の町として発展しました。弊社の会長、保男は、みかん苗の接ぎ木が得意で保男が手掛けた苗は、評判が良く買手のファンが多かった事を祖母から幾度となく聞かされた事を思いだします。 先日、田主丸に眠る、ご先祖様の碑や墓掃除を済まし、カミさんの実家にお正月里帰りしました。
故郷風景
  


Posted by べっぷちゃん at 21:49Comments(0)

2009年01月03日

孫の明依ちゃん

明依ちゃんがお正月にお父さん、お母さんといっしょに来てくれました。 今年のお正月は、次男大輔が東京から戻り、そして、明依ちゃんのおかげで和やかなお正月を迎える事が出来ました。
ありがとう明依ちゃん
  


Posted by べっぷちゃん at 09:21Comments(2)

2009年01月02日

書き初め

元旦二日は、一年の計を表すために「ふではじめ」をやっています。あまり上手には書けませんが、思いをどれだけ実践できるか頑張ってみたいと思って書きました。
この「悌慈信」は、梢風園の経営理念の一部分ですが、上司には悌、部下には慈、同輩には信、を表す自分の戒めみたいな文言です。 忘心感謝
  


Posted by べっぷちゃん at 14:08Comments(2)

2009年01月01日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。 旧年中はお客様をはじめと致しまして、お取引の皆様や、関係各位の皆様そして、社員の皆様のお蔭さまを持ちまして何とか一年を無事に過ごす事が出来ました。こころから有り難く厚く感謝申し上げます。
本年はより一層精進致し、ご期待に少しでも添えるように努めていきたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。 さて、元旦にちなみ今日は、太宰府天満宮に参拝させて頂きました。もうかれこれ15年以上続けています。宮司様の年頭の話しを聞かせて頂けるので毎年楽しみに参拝しています。
参拝、直会後、天拝山へ登りました。去年から友人のリバーサイド氏から誘われて、天拝神社へおさい銭の引き取りに行っています。
勿論、天満宮さんの神官の替わりに行くわけですから責任重大です。「一日神官」をこの日、リバーサイド氏と長男の哲男君と私の次男大輔と四人でご奉仕させて頂きました。リバーサイド氏は明日も明後日も奉仕します。
この山の名前の由来は、ご承知のとおり 大宰府に配流された菅原道真公が自らの無実を訴えるべく幾度も登頂し、天を拝したという古代の伝説に由来していると言われています。 そして、山頂(258M)に菅公様を奉る天拝神社があります。
清清参拝
  


Posted by べっぷちゃん at 23:45Comments(5)